『騎士団長殺し』のあたたかい眼差し

村上春樹の『騎士団長殺し』を読み終わりました。
出版されてからすぐに読みたいという気分になれなくて、ややもするとこのまま読まなくてもいいのかもという気さえしていたのだけど、読もうと思ったときは、読もうと思えたことがとてもうれしかった。

なぜ読もうという気が起こらなかったかというとね、ここ最近の村上春樹の作品は、ドラスティックに易しく、優しくなった気がして、その変化がわたしにとっては好ましくない気がしていたの。

これまでの作品の解説本みたいって。

でも、この『騎士団長殺し』を読んでようやく、わたしはその変化に適応することができたみたいです。

この作品も、たしかに解説本みたいな側面を感じないわけにはいかなかった。

あるモチーフが出てくるたびに、あ、これは『ねじまき鳥』だ、ここは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』だな、この部分は『羊』の世界観だ、と思ったし、以前よりもさらにダイレクトにつながっているというか、同じものをそっくりそのまま表現しているとさえ感じた。

だから読んでいる途中には、これもやっぱり焼き直しか、と残念な気持ちになりかけたことは確かなの。

だけどね、それでもやっぱり嫌いになんて全然なれなかった。

そこには、圧倒的なあたたかな眼差しがあるんだもの。

読んでいる最中、自分がなにかに絶対的に守られていると感じるような慈愛のようなものを感じたのです。

たとえば『1Q84』も『つくるくん』も優しさや愛を同じように感じたけれど、それと同時に『1Q84』には怒りのようなものを感じたし、『つくるくん』には硬質な哀しみを感じた。

だけど、『騎士団長殺し』は100%ゆるぎない愛情でできているように思えました。

最後の登場人物がそれを象徴しているかもしれない。

その登場人物に注がれているあたたかな眼差しが、作品を通してずっとそこにあって、包んでくれているような安心感をもたらしているのだ。

『騎士団長殺し』に出てくる女の子が、ハワイに行ったことを思い出して寒さをしのごうとするシーンがあるのだけど、それでそういえば『ダンス・ダンス・ダンス』ではたしかハワイに行ったよなと思って、『騎士団長殺し』を読み終わってから図書館で借りてきて今読んでいるのだけど、なんとなく隔たりがあるの。

よそよそしいというか。

『騎士団長殺し』からの落差が激しすぎて、自分が拒絶されているみたいに感じるくらいだった。

なにがそのちがいをもたらしているのかはわからないけれど、そういうのっておもしろいなって思ったし、ますます村上春樹作品が大好きになってしまった。

次回作は、きっと心待ちにして、予約して読むだろうなと思いました。

そしてね、わたしはある一節にどうしようもなく救われてしまったの。

 免色はしばし沈黙した。まるでいちばん正しい言葉を探しているみたいに。それからあきらめたように言った。「正直言って、ときどきあなたのことがとてもうらやましくなります」
うらやましくなる?
彼が何を言いたいのかよくわからなかった。免色が私の何かをうらやましく思うなんて、まったく想像がつかないことだ。彼はすべてを持っているし、私は何ひとつ持っていない。
「ぼくのいったい何がうらやましいのでしょう?」と私は尋ねた。
「あなたはきっと、誰かのことをうらやましいと思ったりはしないのでしょうね?」と免色は言った。
少し間を置いて考えてから私は言った。「たしかにこれまで、誰かのことをうらやましいと思ったことはないかもしれない」
「私が言いたいのはそういうことです」
でも私にはもうユズさえいない、と私は思った。彼女は今ではどこかで、誰かほかの男の腕に抱かれている。時折、自分が世界の果てに一人で置き去りにされたような気持ちにさえなる。しかしそれでも、私はほかの誰かをうらやましいと思ったことがない。それはやはり奇異に感じるべきことなのだろうか?

わたしも同じように、人のことをうらやましいとは思わない。人と比べるという概念が希薄なのです。
この「私」と同じように、何ひとつ持っていなくても、「ユズ」さえいなくても、それは自分の中で完結する話であって、他人と比べてどうこう考えることではないんだもの。

免色さんのように、それに対して「うらやましい」と思ってくれればまるで害はないけれど、ある一定の人は、人と比べることが通常運転で暮らしているから、何も持っていないのに嫉妬(うらやましいという感情は攻撃的な色味が加わると嫉妬になる)みたいな感情も持たずのほほんと暮らしている人(わたしのことだ)を見ると、戦いを挑んでくるようにできているみたいなの。

そういうのってわりに傷つくんだけれど、それもまあ他人の感情はコントロールできないし、と甘んじて受け入れていたの。

でもね、この文章を読んで、期せずして涙がぶわっとあふれてきてしまった。

わたしのごく親しい周りの人は、こういうわたしの性分をわかってくれてはいるけれど、同じように考える人というのはなかなかいないんだよね。

理解することと同質であることには、それこそ大きな隔たりがある。

だから、同じ人がいることにわたしはかなり救われてしまった。

『騎士団長殺し』を読んだあと、少しでも村上作品の成り立ち方を知りたくて、『職業としての小説家』というエッセイを読んだのだけど、概ね同じような考え方が通底していると感じました。

一人っ子であることももしかしたら影響しているのかもしれない。

ああ、またしばらく村上作品を読み直してしまうんだろうか。

バケーションには絶対に『遠い太鼓』を持っていってしまうんだろうな。

それにしても、村上春樹の文章の感染力ってすごい。読んだ直後に文章を書くと、村上春樹調の文章になってしまうよね。
これでも、抑えながら書いたつもりなのだけど。

それでは、今日という日がみなさまにとってすてきな1日でありますように。

かしこ。

 

一緒にあたたかな眼差しに包まれよう

 

▶ 騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編
▶ 騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

こちらもどうぞ

▶ 職業としての小説家 (新潮文庫)

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